Essay
心のうちを話すのは。
♯3「女ともだち」
髪を乾かすほんの何分かが、”自分自身と向き合う”そんな時間になれたらいい。
cado cuauraのブランドメッセージ「Pure in. ピュア生きる」は自分自身の心に素直に生きることでもあります。
エッセイ「 心のうちを話すのは。」第1弾は、4シリーズに渡ってファッションライター/スタイリストの角 佑宇子(すみ ゆうこ)さんが担当。
今回のテーマは「女ともだち」について。
出会ったタイミングや過ごした時間・環境によって、互いの距離感や考えが異なっていく経験をした方もいるのでは。
角さんのコラムを読んで、「久しぶりの友人へ連絡をしてみようかな。」と、そんな気持ちになっていただけたら嬉しいです。
♯3「女ともだち」
風力の強さ、持ったときの軽量感、髪を乾かしきる時間。
cado cuauraの細やかな仕事ぶりを繊細に感じとりあう。
共感しあえるのが「女ともだち」の良いところだ。
そうだよね、分かる、分かる!
と、かしましく騒ぎ立てる時間もまた、楽しいもの。
今夜はそんな「女ともだち」との付き合い方について髪を乾かしながらゆっくり考えてみた。
♯3 女ともだちについて
「人づきあいは腹八分ならぬ、腹六分がちょうどいい」
これは母の進言だ。
この言葉を受けた日の私は、友人関係で相当疲弊していた。
と、いうのも仲の良い友人同士がひどいもつれ合いのケンカをしていて、仲裁役を担っていたからだ。
双方の話を絶えず聴きながら上手く立ち回ろうと必死になっていることを母に相談したときの返答が、先のような一言だった。
とっさに「なぜ、そんな冷たいとこが言えるのか」と反論した。
もともと友達づきあいが得意ではないからこそ、真に信頼できる友人関係があることを証明したかったし、そういう友達づきあいが自分にもできると信じたかった。
だから、つい熱くなってしまったのだろう。
結果、私が信じようとしていたその真の友人関係はどうなったか。
一所懸命に働いた私をよそに2人は、私の知らないところで仲直りをして、私の知らないところで2人仲良く遊んでいた。
その事実を母の進言を受けた日から数週間後に知った私は、唖然としつつも「母のいうことは素直に聞いておくものだなぁ」と感心しながら人生のしょっぱい学びを得て終わった。
もちろん、今はその真の友人関係などあっさりと消え、2人が今どういう人生を歩んでいるのかすら、知る由もない。
そういう苦い経験もしたおかげで30歳を過ぎれば、多少は友人関係もうまく築いていけるような気はしているが、それでも「女ともだち」とは得体の知れぬ何かを秘めているとも感じる。
時にものすごく甘く優しく、この関係が永遠のものだと確信するいっぽう、男以上にこれでもかというくらいに塩辛い現実を突きつけてくれる。
なかなかに刺激的な存在だ。
それが30代になると、独身・既婚・子ナシ・子持ちなど、人生のステイタスがより細分化されていくので、深く関わり合えば合うほどに苦しいものへと変化していく可能性も大いにある。
33歳となった今。
私には、自慢できる愛すべき友人がたくさんいる。とても幸せだ。
そして簡単に失いたくないからこそ、自慢の友人たちと長く付き合い続けるために気をつけていることがある。
それは「相手に何かを求めないこと」「相手のふるまいに期待をし過ぎないこと」だ。
これは母の進言である「腹六分の付き合い」にも通ずるのだろう。
深い信頼をおける間柄だからこそ、自分の思い通りに動いてもらうことを期待するのではなく、相手のありのままの全てを受け入れる寛容さを持つことが大切だ。
たとえ友人が私のアドバイスを聞き入れなくても。
私を批判するようなことがあったとしても。
今は私と付き合いたくないと思って距離をおかれたとしても。
笑顔で彼女たちを受け入れる優しさを持っていられればと思う。
女ともだちとは、潮の満ち引きのようだ。
縁が濃くなる時期、縁が薄くなる時期がある。
でも、縁が切れることはないと思うとなんだか少し安心もする。
だから穏やかな気持ちで信頼をして、その時々でちょうど良い距離感をつくっていくことが30代からの友達づきあいなのかもしれない。
角 佑宇子(すみ ゆうこ)
ファッションライター/スタイリスト
ファッションスタイリストの経験を経て2014年からライター活動を開始。anan web・女子SPA!などの女性向けライフスタイルメディアにて主にファッション・美容・恋愛コラムを執筆している。なお、今回の文中のイラストと写真も担当。絵を描いたり、妄想したり、漫画を読んで号泣したりする日々を暮らしている。